映像作品の構造とデザイン 『こうしす!こちら京姫鉄道広報部システム課』 #3.3「セキュリティに完璧を求めるのは間違っているだろうか(Part3/4)」【シリーズもののこの回だけ観よ! #002】

〜シリーズもののこの回だけ観よ!とは〜
シリーズものには必ず本質が露わになったり核心を突く回がある。そんな理念を基にその回と内容をラインアップしていくコーナー。
※ネタバレ全開のつもりなので注意

『こうしす!こちら京姫鉄道広報部システム課』
監督:井二かける
シリーズ構成:井二かける

#3.3「セキュリティに完璧を求めるのは間違っているだろうか(Part3/4)」
監督:井二かける
コンテ:井二かける
演出:井二かける
作画監督:るみあ

あらすじ:京姫鉄道の社内システムエンジニア祝園アカネがシステムトラブルを調査していたところ、輸送指令所でもシステムトラブルが起きていたことが判明する。サイバー攻撃が列車運行管理システムに及んでいる可能性があると直感したアカネは嫌々ながらも行動を起こす――。

構造とデザインについて考える

突然お勉強チックですが、映像作品の構造について考えます。まずハードウェア的に考えると、「キャラクター」「ストーリー」「世界観」のさんすくみになっている。これは脚本決定時に決まるものであって、つまり脚本が作品を動かす基盤となっているということ。
ただこれはハードの話で、ソフトウェアでいうと演出という要素がある。演出によって脚本をより個性的に際立てていく。ベースの脚本は変えられないのですが、印象を変えることができる。
映像作品の構造については上記で十分だと思うのですが、それだけでは完結しません。構造に関係なく、全体的に受け手が総括する必要がある。それを与えるのが作品のデザインです。例えばエンタメとして心がすっとした、〇〇について考えるきっかけをくれた、等々。
当然ですが、作品の構造とデザインは不可分になります。どんなに構造作りが上手くとも、デザインまで思料されていなければ受け手にとって良い作品とはなりません。だけど個人的にはここが上手くいっていない作品が散見される印象なんですよね。

脚本が優れていれば監督は三流でもいい!?

やっと本作の話になるのですが、この作品を超ざっくり説明すると「地方私鉄企業のシステム課で戦う話」、つまり社会インフラのシステム基盤の話をやっている。制作の観点から組み立てると、システムを語るためのデザインとして、世界観としてシステム的にも組織的にも限界集落と化している地方私鉄企業を選び、主人公となるシステム課をメインにストーリーを展開しているわけです。
この様に、伝えたいことを逆算してハード基盤である脚本にまで落とし込めているんです。やなせたかしのアンパンマンでも似たようなことを言いましたが、ここまでできるともう発明なんですよね。こうなるとどうやっても面白い作品になる。
黒澤明が「脚本が優れてさえいれば監督は三流でもいい、ただ逆はどうやっても駄作になる」と言いましたが、この真意は前述の構造とデザインにあります。勿論本作を貶している訳ではありませんが、自主制作作品というのもあり、作画や演出はお世辞にも良いとも言えないですが、それでも10年以上前に初めて知って観てからも定期的に思い出す、システムについて考えるきっかけをくれた作品として忘れられないものとなっているのです。

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