〜シリーズもののこの回だけ観よ!とは〜
シリーズものには必ず本質が露わになったり核心を突く回がある。そんな理念を基にその回と内容をラインアップしていくコーナー。
※ネタバレ全開のつもりなので注意

『Go!プリンセスプリキュア』
監督(シリーズディレクター):田中裕太
シリーズ構成:田中仁
第1話「私がプリンセス?キュアフローラ誕生!」
脚本:田中仁
コンテ:田中裕太
演出:田中裕太
作画監督:上野ケン
あらすじ:春野はるかは『ノーブル学園』に通う中学1年生。夢は「プリンセスになること」!!大好きな絵本に出てくるプリンセス…そんなステキな人に絶対なりたいと願うはるかは、昔『カナタ』という不思議な少年と出会い、プリンセスになる夢をあきらめないと約束したのです。新しい生活をはじめるべく学園の寮に入ったはるか。寮の裏庭でパフとアロマという妖精と出会うのですが、そこに、人々の夢を「扉」 の中に閉ざし絶望に染めてしまうディスダークの幹部・クローズが目の前に現れて……!! 『プリンセスパフューム』と、『カナタ』にもらいお守りにしていた『ドレスアップキー』で、『プリンセスプリキュア』に変身したはるかは、絶望の怪物ゼツボーグを撃退。そして、「つよさ・やさしさ・美しさ」をかねそなえた真のプリンセスを目指して、仲間たちと共に人々の夢を守るため、絶望の帝国ディスダークに立ち向かっていくのです。
シリーズものはどこから始めてもいい
皆さんはシリーズものの視聴継続はどこで決めていますか?世の中には3話切りという言葉もあるので見始めたらそれくらい観る方が多いんですかね。ちなみに押井守は冒頭3分観たら分かり、宮崎駿はスチール1枚見ただけで内容が分かると豪語しています。私は巨匠ほど短くはないのですが、初回の1話を観れば話の底の想像ができるくらいになりました。まあ私は基本的にオンタイムで観るので、3話くらいで気付いて見始めることも多いのですが(笑)
本作を用いてそのからくりを説明したいのですが、まずこの1話はどこから始まるか、冒頭に注目してほしいのです。本作はOP前、アバンで幼いはるかがプリンセスの夢を持っているものの、他の子からかわれてしまい揺らいでいるところに、カナタが現れ夢を目指すよう励まされ、夢を目指す覚悟が芽生える。そしてOP後、中学に転校するシーンから始まる。
実はこのOP前アバンって、冒頭で無くてもストーリーとして成立するんですよね。このシーン自体はドレスアップキーを所持していることの説明で必要不可欠ではあるのですが、それは必要な時に回想シーンとして差し込んだって問題ない。
本来アバンでなくとも問題ない、これを逆説的に考えれば、制作意図として意味のあるアバンなわけです。つまり、このカナタに感化されるはるかは、本作と受け手の関係よろしく、本作は夢を目指すということを表現する作品であることが示唆されている。
この様に、ストーリーって本来どこから始めたっていいものなんです。つまるところ、作法ではなく演出なんですよ始め方は。ただ、これはできて最低限というところです。冒頭シーンの表現が上手くいっても終わる前に座礁する作品なんてままあります。
ちなみに終わり方についても色々語りたいのですが、それはまた別の機会に。
視聴者は必ず結論を求める
これは1話に限りませんが、取り分け映像作品に関しては、視聴者は観ている最中に必ず結論を求めるものです。無意識にも心の片隅に存在する。だから、作中の目的意識が大切なんです。小さいところで言えば観ている回の終わり方、大きいところで言えばストーリーの結末、キャラクターの行く末など。
特にプリキュアのような年間通し4クールのシリーズであれば尚更です。本作では、1話で友達となるゆいの夢や、敵キャラクターの設定で示唆をちりばめている。そして1話以降もキャラクターを増やしたり、ストーリーを展開する形で夢について言及している。だから興味が続く、続きが観たくなる。
別にただ名指しで批判したいわけではないのですが、そういう意味で言うと『キミとアイドルプリキュア♪』の中盤はひどかった。キャラクターに目的意識が無く、脚本にも感じないんですよね、なんか漫画みたいの内容なんです。漫画なら別にいいと思うのですが、映像作品は時間の制約があり、必ず区切りがある。区切りに向かう目的意識がないと退屈になるので大切、そしてその目的意識は1話に十分表れるわけで、シリーズを推し量るには1話で十分なわけです。
”映画の文法”の成功例
あまりにも脱線するのでおまけということで別に書くのですが、先日ノーランの『オデュッセイア』を劇場で観ました。一言でいうと国王である主人公が戦争で勝った後、満を持して国に帰るという話なのですが、その始まり方は主人公が戦争に赴くところから…ではなく、その息子が親である主人公を探すところから始まる。
監督がクリストファー・ノーランなので始まり方、そして時系列の演出について、所謂ノーラン節が炸裂しているわけですが、この真意については古代ギリシャ研究家の藤村シシン氏の所感が素晴らしいものだったので、ぜひ本編を観て考えた後に下記のYoutubeを見ていただきたいです。
また下記の押井守のインタビュー記事も参考になると思います。押井守はなるほど”映画の文法”と表現しています。また後編ではノーランについても言及しています。


